蛙八 湯之助(カワズヤ ユノスケ)公式サイト|マーケッター

金は「上げる」んじゃねえ、「引き出す」んだ。

  
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金は「上げる」んじゃねえ、「引き出す」んだ。

よう兄弟。商売やっててこんなこと考えたことはねえか?「どうやったら売上を“上げる”んだ?」ってよ。けどな、ここにひとつ、目から鱗(ウロコ)の真実を教えてやらぁ。
売り上げは「上げる」んじゃねえ、「引き出す」んだよ。
この違いが、裏路地のしがない商人と、花のお江戸で名を轟かせる商売人の分かれ道ってもんだ。

上げるって考え方が、そもそも小っせえんだよ。あんたもそう思うだろう?

世間の連中は、よく「売り上げを上げたい」なんてセリフを吐きやがる。だけどそれじゃまだ青二才よ。上げるって考えると、どうしても力技に頼っちまう。客の財布に手ぇ突っ込んで無理やり引っ張り出すようなもんだ。でもな、力技で売りつけて金を取り上げようとすりゃ、客は警戒して逃げる。

それは「表面的な数字を引き上げる」だけの短期的な発想だ。

まず、この「上げる」って言葉の響き自体に問題がある。上げるって聞くと、無意識に何かをムリヤリ「押し上げる」とか「力を込めて押し込む」ってイメージが入り込んでる。自然と「労力」や「強制力」の匂いが漂っちまうんだ。だから、多くのやつらが、もっと広告をガンガン打つぞ!とか、営業マンにノルマを課して必死に売り込め!みたいに、力づくの戦略に走りやすい。

無視される客の気持ち

さらに「上げる」という言葉は、主語が「売り手」に偏ってるのがポイントだ。売り手側が「どうにかして売上を上げなきゃ!」って焦ってる感じが出て、相手(=顧客)の存在がスコーンと抜け落ちてる。そこに「共感」がないから、客からすりゃ「押しつけがましい」「こっちの気持ちは無視か?」って感じになりがちなんだ。結果どうなるかって?

その結果、商売が「売る側の都合」ばかりに偏りやすくなる。「こっちは売上を上げたいんだから、客にどんどん買わせればいいんだろ?」って短絡的な考えになっちまうんだ。

売る側のエネルギーだけが先走って「もっとアポを増やせ」「営業を増やそう」みたいな、いわゆる押せ押せの力技になっちまう。これが、売上を「力技」にしがちな心理の仕掛けなんだ。

そしてそれを受け取る客は、無意識に反発したり、疑いの目を向けるようになる。だから客足は遠のく。相手の心に「買いたい」という自然な感情が引き出される前に、「売られた感」を感じさせちまうからだ。

売り上げは「湧き出るもん」だ

湯之助がよく言ってた言葉がある。「商売ってのは川の流れを作るようなもんだ」ってな。強引に売りつけるんじゃなく、客の「欲求」って川底にそっと水路を掘ってやるんだ。そうすりゃ無理せず自然に売り上げが湧いて出るようになるって寸法さ。

客の「心の水路」を掘れ、オファーで桶を用意しろ

もう一つの教えがある。「お客さんの心の中にある隠れた欲求や不安を掘り起こして、それを解消するための水路(=解決策)を掘る。その水路に、桶(=絶妙なオファー)を置いておくんだ。」ってな。

するとどうなる?この桶が、ちゃんと機能していれば後はほとんど何もしなくてもいい。客は自らその桶に水を(金を)注ぎ込むようになる。なぜなら、そのオファーこそが、そのひとを癒し、欲を満たし、不安を解消する「避けられねえ選択肢」になってるからさ。

この桶がしっかりと準備されていれば、あとは自然に客がその桶に水(金)を注ぐ。
なぜなら、そのオファーが、客にとって「避けられない選択肢」になっているから。つまり、客の欲求や不安を癒し、満たすためには、そのオファーが不可欠だと感じさせるわけ。

江戸の商売人の極意──「引き売り」だ

江戸っ子の商売は押し売りじゃねえ。本当の商売人ってのは匂いと空気で客を引き寄せる「引き売り」を心得てんだ。

たとえば、祭りの屋台を思い浮かべてみな。「買え!買え!」なんて怒鳴ってるだけじゃ、誰も寄りゃしねえだろ?

店先に営業マンが立ってうろちょろしながら「売りてえ売りてえ」って顔してたら、めんどくせえ!話しかけてくるなよって内心思いながら、店の前を避けるだろう?

けど、うまそうな匂いをふわっと漂わせ、屋台の前に楽しげな声が聞こえてくりゃどうだ?自然と客はその屋台にフラッと吸い寄せられるように集まってくるもんさ。これが「引き売り」の本質だ。

イカ焼きの、炭の香ばしい匂いが風に乗ってふわりと届いてくる。子どもたちの笑い声、鉄板のジュウッという音、「お兄さん、これサービスしとくよ」なんて粋な掛け声が聞こえてくる。にぎやかだけど、どこか心地いい“呼吸”がある屋台。

この自然な流れこそが「引き売り」の神髄だ。
「買う」じゃなくて「楽しそうだから覗いてみる」。
「売る」前に「感じさせて」る。
「説明」じゃなく「体験」を提供してる。

保険屋のハンター vs. 商いの職人

俺は愛犬家だ。ドッグフェスにも行く。愛犬のために何か良いご飯ないかな~とか、面白ぇおもちゃないかな~なんて探すのが楽しいんだ。だがよ、ああいう場での、『ペット保険のコーナー』だけは異様に気配が違う。

でけえブース、名刺持ってジリジリ近づいてくる営業マンたち。こっちはちょっと興味あったのによ?まるで「買わされたら終わり」って空気が漂ってんだ。そう思って、足が止まるどころか、自然と遠ざかっちまうんだよ。

匂いも、空気も、呼吸もない。あるのは“狩り”の目だけ。名刺を配って「保険どうっすか~?」って近づいてくる奴らは、空気を読む前に空気を壊してんのよ。

イカ焼きの炭の香ばしい匂いとは、真逆よ──
あっちは「誘う」、こっちは「追う」。
あっちは「感じさせる」、こっちは「詰め寄る」。

だからマーケティングってのは「力づく」じゃなくて「引き寄せる仕掛け」なんだ。

奪おうとするな、流せ。これが湯之助の極意よ

兄弟、ここまで話を聞いてもうわかったろう?商売ってのは、無理に売り上げを稼ぐもんじゃねえ。自然と、金が流れ込む仕掛けを作るもんだ。

売らなくても、売れていく。
それが粋ってもんさ。
ヤツの屋台には、今日もまた人が集まってる。
なぜか?気持ちのいい風が、吹いてるからだ。

水路を掘れ。そこにしっかり桶を構えておけ。
そしたら、あとは待つだけさ。
蛙八湯之助のマーケティング指南にゃこう書いてある。
それを心得てりゃ、売り上げは自然に溢れ出す。

てやんでえ、やってみな!
商売繁盛間違いなしよ。

人情

でも、世間ではまだまだ「売上を上げる」が主流だ。なぜなら、わかりやすいからよ。数字を追えば「結果が見える」って安心感があるし、上司にも報告しやすい。

「今月の売上、30%アップです!」ってな。でも、これが商売の本質を見誤る「罠」だ。

本来、商売は「数字を上げる」ゲームじゃねえ。人と人が心を通わせ、その結果として「ありがとう」と言いながらお金を差し出してもらうものなんだよ。

その感謝の積み重ねが、気づけば売上を引き寄せてくる。

だが、「上げる」という言葉が、そういう柔らかなやり方を意識から遠ざけちまう。

知らずしらずのうちに、「力任せ」の匂いがまとわりつく。

反対に「柔らかく」考えれば、自然と相手のことを考える余白が生まれるって寸法よ。

「上げる」んじゃ、短期的にゃ稼げるかもしれねえが続かねえ。客も疲れるし、あんたも疲れる。

だが、引き出す商売を覚えりゃ、客は喜んで財布を開き、さらにまた戻ってくる。

それどころか、他の客まで引き連れてくる。

さあ、どっちの道を選ぶ?

力技で一瞬の勝負に賭けるか、それとも「引き出す商売」で末長く稼ぐか。

ここがただの成り上がりと江戸の商人の違いってもんだよ。

考えてみな。泉から水を汲み出す時、力任せに地面をぶん殴ったって水は湧き出てこねえ。まずは静かに耳を澄まし、どこに水脈があるか見極めるんだ。それと同じで、客の心の中にも「買いたい」って思いが眠ってる。その欲望を引き出してやる。それが商人のやり方よ。

だが、わかりきってる無限の泉があるんだ。

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